さる7月に、岩手大学教育学部教授 岡田浩行先生から、菅原隆太郎(岩手県花巻市大迫小学校 元校長)の事蹟をたどる作業についての問い合わせがあり、事務局 倉島が対応し、以下の探訪記を頂いたので、掲載致します。
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2024年9月28日(土)、教育資料調査のため、成城中学校・成城高等学校を訪問させていただいた。折しも、世界新教育学会の学会員の方々が、フィールド・トリップで同校を訪問されるという。斯様に成城中学校・成城高等学校の史料室には、成城中学校、成城尋常小学校時代の貴重な資料が収蔵されている。成城第二中学校が分離独立し成城学園となる前の時代の資料も多い。まことに貴重な機会を与えていただいたと、岩本正校長先生をはじめ、多くの学校関係者の方々にお礼の申し上げようもない思いである。
私は日本近代文学を研究している。決して教育史が専門でもない私が、同校へ教育資料の調査に赴くに至った経緯はおよそ次のようなものであった。
私の本務校である岩手大学教育学部は、岩手県師範学校と呼ばれた時代から岩手県下に、数多くの教員を輩出してきた。元来自由教育に重きをおいた教員養成を行っていたらしい。そうした教育観を受け継いだ卒業生のうちに菅原隆太郎という人物がいる。明治34(1901)年に岩手師範を卒業し、岩手と東京で教員をしていたが、特筆すべきは、大正8(1919)年、菅原の母校である現在の花巻市大迫町の大迫小学校へ校長として赴任後、大正12(1923)年より昭和7(1932)年に同校を転出するまでのあいだ、ドルトン・プランを実施したことだ。岩手県の山間の地で、当時最先端の教育を行っているということで話題になり、岩手県内の新聞にも掲載され、授業参観者があとを絶たなかったと記録に残っている。その一人に、宮澤賢治もいたのである。
ドルトン・プランを実施する準備段階の時期に、菅原隆太郎は、大正9(1920)年に東京成城自由学園へ二週間研修に訪れている。さらに、大正10(1921)年大迫小学校の四名の教員を同校へ研修のため派遣している。そこで私は、菅原の教育実践の背景に、成城学校と岩手県師範学校の二つの文脈を措定し、それぞれ調査を開始することとした。今回の調査は、前者の分析を目的としたものである。具体的な調査内容は、次の三点であった。
①大正10(1921)年2月19日~27日のあいだで、大迫小学校から四名の教員が成城自由学園に派遣されたことを裏づける記録があるか。
②大正9(1920)年、校長である菅原隆太郎自身が成城自由学園に二週間、視察に赴いたとされているが、その事実や期間を裏づける史料があるか。
③大正10(1921)年、大迫小学校の教員たちが視察に行った当時は、成城小学校でもまだドルトン・プラン導入以前であったが、実際どのような特色ある授業をしていたか、うかがえる史料があるか。
調査当日、まず校友会室に案内された。鎧具足のある部屋に成城学校の来歴と歴史とが偲ばれた。茶菓によってもてなされ、厚遇に恐縮しきりであった。さらに成城中学校・成城高等学校卒業生で東北大学在籍の若き歴史研究者中川喜弘氏が、本日の調査に協力してくれるということで、元来専門外の私にとって頼もしい助っ人を得た思いであった。
世界新教育学会一行の到着を待ち、多くの先学の知己を得たことに喜ぶのも束の間、学会員の皆様が次の参観場所に移動されると、いよいよ調査を開始した。中川氏も初めて入室するという件の史料室である。児玉源太郎、志賀重昂、安倍能成…錚々たる顔ぶれの著名人の書簡、明治・大正・昭和期の成績資料、辞令文書や出納悵など、夥しい数の史料があった。講話を録音した朽ちかけのレコードといった珍品まで発掘されたのである。調査の対象としたのは、大正時代だけではあったものの、過去のあまたの人々の筆跡が歴史の迫真性をもって私を圧倒した。しかもまだ手をつけない箱が壁に積み重なっているのだ。本来批評研究をつとめとする私は必ずしも価値の判定者として相応しくないことは自覚しているが、これら史料の歴史的学術的価値が計り知れないということはよく分かった。
かくして資料の山を崩しては、また元どおりに積む、資料の束をほどいてはまた結ぶ作業を繰り返した。しかしとうとう岩手県大迫の人々が100年前に残した痕跡に辿り着くことはできなかった。成城小学校の資料も、あるにはあったが僅少であったためだ。この結果からするに、成城学園が成城学校から独立する際に、成城小学校の資料が持ち出されたのではないかと推測された。しかしその結果に、私は必ずしも落胆してはいなかった。この日築かれた史料との繋がり、人との繋がりは、必ずいつかは確実な成果へ辿り着く助けになると思えてならなかったからだ。それほど、人との繋がりや生の史料に感激する想いに、私の心は占められていたと言える。
郷土の教育振興に多大な功績のあった先人たちの足跡が明らかになることを心待ちにしている大迫町の人々に良い結果を報告できる日は必ず来る―そんな期待を抱かせる調査行であったことを報告すべく、岩本校長先生と中川氏を映した写真を持って、ちかぢかまた大迫町を訪れようと思う。
岩手大学 教育学部 国語教育科 教授 岡田浩行